ぜろ通信

嘉向徹と保科亮太のブログです。└( ^o^ )┐

初編 其の三「執行猶予」

 2014年初夏。嘉向と保科は佐渡ヶ島へと渡っていた。震災関係のボランティアで仲良くなった“一哲さん”の実家が島内にあるという。この時、彼が二人の〝流刑案内人〟であったことは今になって分かった。

 一哲さんは70歳半ばの高齢にも関わらず、年の大半をボランティア活動と社会活動に費やし、冬場の2~3ヶ月の期間にスペイン語圏(スペイン~南米)を一人放浪するというルーティンを持っている。(ブログはこちら→一哲 放浪記)2014年以降はFacebookを始めたので、そちらに容赦なく自身の近況をアップし続けている。そんな一哲さんは新潟市内に一軒家を構えており、佐渡の実家は一哲さんのお母さんが亡くなってから空き家になっているとの事だった。保科が初めて一哲さんと会った時から「ウチをなんとか有効活用できんかのー?」という話を聴いていた。以来、一年越しの実現である。

 新潟港から両津港にカーフェリーで揺られること150分。流刑の島に辿り着いた。レンタカーを利用して、初めて佐渡で三人が揃った。開口一番、嘉向が一哲さんに尋ねた。

佐渡で人手が足りなくて困っている人のお手伝いをしたいと思っています。おじいちゃんやおばあちゃんがやっている畑や田んぼなどですね。」

 それを聞いた一哲さんは「そうか」と言って、素早く愛用のタブレットを開いて誰かに電話をしはじめた。

「ああ、もしもし、山本八兵衛(一哲さんの屋号)ですけど。どうもどうも...おお、やっとるかー、はっはっー。精が出るのー。それでのう、今一緒に佐渡に来ている若者が農業を手伝いたいと言っているのだけれども、とりあえず話だけでも聞いてやってくれんかのう。...はいはい、ありがとうありがとう。それでは今から向かいます。」ピッ。

早かった。

「ということですから、彼と直接会って話してください。」

 驚くべきスピードである。一行は両津港から東海岸線沿いを車で走ること約30分、ナビに『野浦』と書かれた村に到着した。

村の中で一番北側にある一軒家、それが一哲さんが保有する「八兵衛家」だった。元々鍛冶屋だった築100年以上の古民家に加え、キッチンや洗面所、風呂場などが増設されていて、

「これは完全に整っている(天井の梁とかものすごく立派!!)」

と、二人は予想以上に驚いた。

昔の家は冠婚葬祭などは全て自宅で行っていたらしく、この八兵衛家でも同様の様式が備えられ、家具や食器なども充実していた。いわゆる“古民家”というと、「かなり掃除とかして住めるまでに困難極めますよー」的なものを想像していたし、実際ほとんどがそうだと思うのだが、ここはさほど手もかからずに「今日から住めまっせ!」という具合だった。

「本当にいいとこですね。。」

と、呆気にとられていた二人を見て、一哲さんは嬉しそうだった。

「それでは社長のところへ行きましょう。」

八兵衛家を出て、小雨が降る村内に入り、棚田が広がる山の手前で車を停めた。どうやら刈り払い機を使って田んぼの周りを除草しているサングラスをかけたあの男性が“社長”らしい。それが嘉向・保科がいま現在もお世話になりまくっている『BOSS』とのファーストコンタクトであった。

「おう、ちょっといいかな。こちら嘉向くんと保科くん。佐渡で農業の手伝いをやりたいということらしいんだけどね。」
挨拶と自己紹介を済ませ、嘉向からそれとなく自分たちのやりたいことをBOSSに伝えた。
「彼らはほとんどお金のやりとりをしないので、野浦に滞在している間は社長に面倒をみてもらって、米などを分けてあげてくれんかの?」
一哲さんのフォローが有難かった。
「うーん、そんなら秋の稲刈りからやってみるか?」
BOSSも半信半疑といったところで了解してくれた。

寝床と、仕事と、食物はなんとか確保できそうだ。あとは実行あるのみ。この時はまだ保科が一般職に就いていたため、フリー素材となっていた嘉向ほぼ一人で秋の収穫から手伝いに行くことになった。

 

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しかし、この実験的に行った2014年の収穫祭の結果が、後の二人の運命を謎のヴァガボンディング(漂白記)へと誘うことになるとは、まだ誰も知る由もなかった。