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ぜろ通信

嘉向徹と保科亮太のブログです。└( ^o^ )┐

悲壮感なき玉砕 ー こんな馬、他に誰がいるか。いない。ツインターボだけだ。

1988年4月13日、後に『最後の個性馬』と呼ばれ、競馬ファンから愛された競走馬が誕生した。彼の名はツインターボと言う。

同年6月29日、『ジメっと明るい馬か』保科亮太、誕生。

翌々年11月24日、『生まれ変わった嘉向秀雄』サラブレット徹、午年に誕生。

 

 

小さい体だったからか、ツインターボはとにかく怖がりで、馬群の中に入れたらひるんでしまって全く競馬にならない気性の馬だった。彼の戦法は「大逃げ」。

チームゼロもまた、一般社会では萎縮してしまって使い物にならない、引退寸前の老馬だ。逃げ足だけは早い、かもしれない。

 

逃げ馬は時として逃げないこともあるが、ペースなどという単語を微塵も感じさせない破滅的な大逃げを打つ。反面、強気の大逃げからぐんぐんと馬群に沈んでいく玉砕スタイルも併せ持つ。競馬ライターの山河拓也氏は、ツインターボを「悲壮感なき玉砕。こんな馬、他に誰がいるか。いない。ツインターボだけだ」と評している。

 

チームゼロも振り返ることを知らない。ただ前に逃げ進む。近年では、歩いたり、立ち止まることも善しとしている。この日も『湯河原春の陣』を敷くべく、城主・プレゴ郎率いるプレゴ湯河原店のゲートに並んだ。それぞれが片手に握りしめた一万円。大逃げでゴールテープを切るイメージはできていた。

 

逃げ切った時の勝ち方も豪快なら負け方もまた爽快。勝つ時も負ける時も、ツインターボは常にスタートからエンジンを全開にする。もちろん観客も彼の大逃げを期待する。しかし、多くの場合は玉砕して散る。次のレースでも、また懲りずに先頭をひた走り、やっぱり玉砕するのだが、お金を賭けた人ですら「やっぱりやりやがった! しょうがねえなあ」と笑っている。

 

一方、一人が当たるとその出玉を隣に座る相方へと渡す、両エンジンを兼ね備えたチームゼロ。その戦法が見事当たり1万発に到達。しかし、それは海外渡航を控えた二人のゴールではない。最高、いや、最低でも2万発、それがレースを終わらせる条件だった。

 

ゲートが開くと同時にロケット花火のように飛び出し、大逃げを打った末に逆噴射を起こし、ともすれば故障発生にしか見えないようなムーンウォークを見せ、最後は歩いてゴール板の前を通過する。勝ったレース以外では掲示板にすら載っていない。そんな競馬しかできなかった。

 

一度は一万発の大台に玉数を乗せ、レースでは頭一つ抜きん出たチームゼロだったが、後半徐々に失速、当たるけれども、続かない。継続性に欠けた展開。みるみるうちに隣の台に抜かれていく。常人であればここで潮時と見るだろう。けれども、この両エンジン、燃料が尽きるまでは止まることを知らない。

 

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 ツインターボの大逃げがたっぷりと楽しめる名レースと言えば、6歳の時、それまでの不調を乗り越え、見事カムバックを飾ったレースの後に出走した「オールカマー」。秀逸な成績のある名馬たちが並ぶ中、彼は持ち前の大逃げを仕掛ける。2番手との差が最大で50メートルを超えるほどのキレのある逃げで、後続の馬に影すら踏ませず、清々しく1着を飾った。

オールカマーの翌年の有馬記念。観客に「もしかしたらこのまま……勝つんじゃないのこれどうすんの……」と思わせたのも束の間、あっという間に差を詰められる。やっとゴールに辿り着いた時には最下位の13着、大差での敗北だった。しかし、この見事なまでの負けっぷりこそが、ツインターボの魅力であり、ある意味真骨頂と言える。

 

ターボが切れたのはレースが開始して、9時間後のことだった。突き続けた玉がついに尽き、最後に残ったのは、走り終えた後の清々しさだけだった。プレゴ湯河原店を出た時に吹きつけた夜風が、目の前をツインターボが走り抜けたかのようで、二人はなぜだか嬉しくなった。

 

 

1998年春、ツインターボ心不全で急逝。

10歳という若さだった。

 

 

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明日死ぬかもしれない。